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名古屋高等裁判所 昭和48年(ネ)559号 判決

控訴人 朽名幸雄

右訴訟代理人弁護士 船橋酉介

被控訴人 新美作造

右訴訟代理人弁護士 榊原匠司

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人に対し、一〇〇万円およびこれに対する昭和四二年一二月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し、二〇〇万円およびこれに対する昭和四二年一二月三〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一  被控訴人が、昭和三四年一月二六日、金丸から提起された第二一三七号事件の応訴につき、名古屋弁護士会所属の弁護士である控訴人に対し、訴訟委任をし、その手数料として二万円を支払ったこと、右事件につき昭和三六年五月一九日被控訴人敗訴の判決が言い渡されたこと、そこで、被控訴人は、昭和三六年五月二六日、控訴人に対し、右判決に対する控訴の訴訟委任をし、第二五三号事件として係属したが、昭和三九年三月三〇日金丸において右事件の訴えを取り下げたこと、被控訴人は、昭和三六年六月末ごろ、金丸から提起された第八三九号事件の応訴についても控訴人に訴訟委任をしたが手数料の支払はしなかったこと、同事件は昭和三七年六月一六日いわゆる休止満了により終了したことは当事者間に争いがない。

二  控訴人は、右各事件を受任する際、被控訴人が控訴人に対し、成功報酬として、第二一三七号事件については訴訟物の価格(時価)を基準として名古屋弁護士会が定めた規程により算定した最大限の額を訴訟終了後直ちに支払う旨、第二五三号事件については右第二一三七号事件と同様にして算定した金額を支払う旨、第八三九号事件については第二五三号事件と一括して支払う旨を約したと主張し、また、右各訴訟終了後の昭和四〇年八月中旬ごろ、成功報酬を二〇〇万円とすることに協定したとも主張しているが、右主張に副う≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照らしにわかに信用できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。かえって、≪証拠省略≫によると、被控訴人が前記各事件を委任する際、控訴人に対し、報酬の支払いについて、その金額を取り決めるよう申し出たのに対し、控訴人は「あとでよい」というのみで、前記二万円の支払を受けたほかは、各事件の受任にあたり手数料を受けず、報酬契約書も作成せず、結局確たる取決めをしなかったことが認められる。よって、控訴人の右主張は採用できない。

三  しかしながら、弁護士と訴訟依頼者との間の法律関係は特段の事情のない限り有償委任契約であることはいうまでもないから、訴訟委任をするに当り、報酬を支払うべきことおよびその額について明示の約定がなされなかったときでも、依頼者は相当の報酬を支払う義務を負うものと解すべきであり、その金額は、事件の難易、訴訟物の価額、訴訟係属期間の長短、その間に弁護士の費した労力、依頼の目的の成否その他当事者双方に存する諸般の事情を参酌して決するのを相当とする(なお、控訴人の本件訴訟受任が有償であったことは前段の説示からも明らかである。)。

四  そこで、控訴人の本件報酬請求の当否について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  金丸が昭和三三年一二月一二日被控訴人に対して提起した第二一三七号事件の訴えの要旨は、金丸において昭和二六年そのサイジング工場建設のため本件土地を自己の出捐をもって買い受けたところ、金丸の有限責任社員であって、右買入に関与し関係書類を所持していた被控訴人が昭和三一年一月一〇日自己の所有名義に所有権移転登記を了しているので、本件土地が金丸の所有であることの確認と所有権移転登記手続をなすことを求めるというものであった。これに対し、被控訴人は山田松次郎の紹介により控訴人に右訴えに対する第一審の訴訟代理をなすことを委任し、本件土地は被控訴人が自己の出捐をもって買い受けたものであって、同人の所有に属し金丸には関係がないと主張して全面的に争った。控訴人は被控訴人とも相談して事件関係者に面接し、証人として荒川義信ほか三名および被控訴人本人の尋問を申請した。右訴訟は、昭和三四年五月二〇日から同三六年三月二二日まで一一回にわたり口頭弁論期日が開かれ、その結果、昭和三六年五月一九日、本件土地は金丸植大工場の責任者としてその経営管理に当っていた被控訴人が金丸の簿外資金で購入したものであり、金丸がその所有名義を取得しないでいるうちに被控訴人が金丸に無断で自己のため所有権移転登記を経由したものであるとの理由で、被控訴人敗訴の判決が言い渡された。

2  第二一三七号事件の判決に対し、被控訴人は、控訴人に対し控訴審の訴訟委任をなし、控訴人において、昭和三六年五月二六日、名古屋高等裁判所へ右事件の控訴(第二五三号事件)を提起した。控訴人は、右控訴審においては被控訴人が自己の出捐をもって本件土地を購入した事実を明らかにし、第一審における金丸側提出の書証の内容の虚偽、証人の偽証を攻撃するとの方針を樹立し、控訴審の第二回口頭弁論期日において三六行詰めの罫紙一九枚の準備書面を提出し、本件土地が被控訴人の所有に属することを詳論したほか、金丸の従業員をも含む一四名の証人の尋問を申請したのである。これに対し、金丸の訴訟代理人であった亀井正男弁護士から何らの反論もなく、三回の期日が空転して一年近く経過するうち昭和三七年五月四日同弁護士は死亡した。しかるに、これより先、昭和三六年八月六日金丸の無限責任社員であり、かつ、その代表者である金丸勇も死亡していたため右訴訟はここに中断するにいたった。その後、金丸は昭和三八年六月一四日解散し、同日清算人として服部芳蔵が就任し同年七月二〇日その旨の登記を了した。これより先、控訴審手続開始後金丸側から事件を示談で解決する提案がなされ、訴訟代理人たる亀井弁護士と控訴人との間で交渉はある程度進捗していたのであるが、同弁護士の死亡により前記のように訴訟が中断したため、示談の交渉もとぎれたままになっていた。

控訴人としては、第一審判決が、被控訴人において金丸の社金を横領して本件土地で私腹をこやしたという不名誉な判断を下しているためこれを大いに遺憾とし、控訴人と慎重協議のうえ前記のように控訴審での反撃の態勢をかため訴訟の進行を期待していた。しかし、亀井弁護士の死亡後事件の審理は膠着状態に陥り、本判決添付の経過一覧表記載のごとくその進行は遅々たるものであり、実質的審理は行なわれなかったので、被控訴人は控訴人に対し促進方を度々要望し、控訴人においては、金丸代表者および亀井弁護士の死亡、和解申出のあったことなどを説明して被控訴人の諒解を求めていた(なお、第二五三号事件は、控訴審に係属してから訴えの取下げにより終了するまでの二年一〇か月の間、九回にわたって口頭弁論期日が開かれたけれども、実質的な審理が行なわれたのは二回だけである。控訴人は、右期日中七回出頭したが、そのうち三回については自ら延期申請をし、三回については相手方の延期申請に同意し、一度は双方代理人が出頭しなかったため休止となった。)。

3  昭和三九年二月六日にいたり、金丸の清算人服部芳蔵が訴訟代理人として弁護士奥嶋圧治郎を選任したため、訴訟を進行せしめうる態勢がととのったところ、金丸側から被控訴人側に対し再び示談解決の申入れがあった。この申入れがなされるについては、「第一審において金丸の勝訴となっているけれども、このまま訴訟を続行することは必ずしも有利ではなく、控訴審においては逆転して被控訴人勝訴の結末を見る可能性がある」との奥嶋弁護士の判断もあづかって力があった。かかる情勢下で、控訴人は第二五三号事件における被控訴人の勝訴を信じ、訴訟を続行する意見であったが、被控訴人は長期に亘る訴訟の係属にいや気がさし、本件土地建物が自己の所有に確定するならば、和解に応じて早期に事態を収拾したいと希望し控訴人も結局これに同意した。その結果、金丸代理人加藤正男と被控訴人との間に直接示談の折衝が行なわれ、昭和三九年三月一六日原判決添付和解契約書記載のごとき内容の和解契約が裁判外で成立した。右和解契約の内容は、さきに中断した示談交渉において金丸の提案した条件とほぼ同一のものであった。なお、和解契約書には記載されなかったが右和解契約においては、金丸代理人加藤正男において金丸から被控訴人に三〇〇万円を支払うべきことを約束した(右和解契約書において被控訴人側から金丸に対し譲渡することを約した興亜工業株式会社株式一万四五〇〇株の当時の価額は約二九一万五〇〇〇円であった。)。

4  第二五三号事件の訴訟手続においては、右和解成立の日である昭和三九年三月一六日当事者不出頭のまま裁判所が職権で和解を勧告することを決定し、四月二四日が和解期日として指定されていたが、三月三〇日にいたり金丸訴訟代理人奥嶋弁護士において裁判外の和解成立に伴う事後処理として訴えの取下書を提出し、控訴人も同年四月一日これに同意を与えたので、第二五三号事件はここに終了するにいたった。

5  なお、金丸は、さきに第二一三七号事件で勝訴するや、勢に乗じ本件土地上に存在する本件建物についてもこれが自己の所有に属するとして、昭和三六年六月被控訴人に対し第八三九号事件の訴えを提起したが、右訴訟は、第二五三号事件がまだ係属中であった昭和三七年六月一六日にいわゆる休止満了により終了した。

6  なお、前記裁判外の和解の際金丸代理人加藤正男が被控訴人に対し支払いを約した三〇〇万円は、その後金丸において履行せず、加藤もまた死亡したため、被控訴人は今にいたるもこれを受領していない。

7  名古屋弁護士会の制定した報酬等基準規程の定めによれば、弁護士の受ける報酬には手数料(事件の依頼を受けたときに支払われるもの。)と謝金(依頼の目的が達したときに支払われるもの。)との別があり、民事に関する事件について目的の価額を算定できるものの手数料および謝金は、一〇〇万円以下のものは一〇〇分の一〇以上一〇〇分の三〇以下、一〇〇万円を超える部分は一〇〇分の七以上一〇〇分の二〇以下、五〇〇万円を超える部分は一〇〇分の六以上一〇〇分の一五以下、一〇〇〇万円を超える部分は一〇〇分の五以上一〇〇分の一〇以下、五〇〇〇万円を超える部分は一〇〇分の三以上一〇〇分の五以下となっている。

以上のように認定することができ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定事実によれば、被控訴人は金丸から本件土地建物が金丸の所有に属するものと主張されて第二一三七号(控訴審第二五三号)事件および第八三九号事件の訴えを提起されたが、訴訟代理人たる控訴人の応訴の結果第二一三七号事件は訴えの取下げにより、第八三九号事件は休止満了により訴訟が終了し、金丸においてはその目的をとげず、かえって前記裁判外の和解により本件土地建物が被控訴人の所有に属することが確認されたのであるから、被控訴人は控訴人に対する右各事件の訴訟委任につきその目的を達したものということができる。もっとも、前記裁判外の和解は、被控訴人において直接これを成立せしめたものではあるけれども、前認定のとおり被控訴人は最終の段階にいたって和解に関与したにすぎず、これにいたるまでの和解の機運の醸成につき控訴人の払った努力は無視することができないものであって、右和解が被控訴人一個の力量で成立したものであることはこれを否定せざるをえないのである。

これに対し、被控訴人は、第二五三号事件につき控訴人は長時日に亘り訴訟を進行せしめる努力を怠り、被控訴人を不安の裡に放置し、被控訴人をして不利益かつ不本意な和解をなすことを余儀なくせしめたのである。したがって被控訴人は事件の依頼につきその目的を達していない、と主張する。しかしながら、被控訴人は前記裁判外の和解において金丸に対し本件土地建物の所有権を確認せしめたかわり、興亜工業株式の譲渡を余儀なくされたのではあるが、右株式の譲渡についてはその時価をこえる三〇〇万円の支払を約せしめており、右和解において被控訴人の払った犠牲は皆無というに妨げない(右三〇〇万円を被控訴人が金丸から現実に取立て得なかったことは別個の問題である。なお、原審および当審における被控訴人の供述中には、被控訴人が右和解において金丸に対する出資持分権を放棄したとの部分があり、≪証拠省略≫はこれに副うものであるが、右供述は≪証拠省略≫に照し信用できず、かえって右各書証によれば、右出資持分は被控訴人において金丸勇から譲渡の約束を受けたに止まり、これが実行にいたらなかったものであることが窺われるので、被控訴人が右裁判外の和解により金丸の出資持分喪失の犠牲を払ったことは認められない。)。また、第二五三号の訴訟手続が遅延したとの点についても、右は前記認定の事実関係から明らかなように主として金丸側に発生した会社代表者、訴訟代理人の相つぐ死亡に基づくものであって、ひとり控訴人にその責を帰することはできないものである。もっとも、昭和三七年五月四日の右訴訟の中断後は控訴人は金丸の後任代表者の就任をまたず、民訴法五六条、五八条により金丸のため特別代理人の選任を申請し、該代理人をして訴訟手続を受継せしめ、もって、訴訟の促進をはかることが可能であったことは法律上疑いのないところであるが、控訴人が特別代理人選任の手続をとらないため、訴訟の進行に若干の遅延をみたからといって、控訴人の受任事務処理によって被控訴人が応訴の目的を達したこと自体は、これを動かすことができないのであるから、控訴人が特別代理人選任申請の手続をとらなかったことは、いまだ、控訴人の報酬請求権を否定する理由とはなしがたい(被控訴人が本訴において主張するほどに控訴人の訴訟事務処理が不満であったならば、被控訴人としては、第二五三号事件の係属中何時でも控訴人を解任することができたのであるし、控訴人の過失で損害を被ったというなら、別訴または本訴においてこれを主張・立証すればよいのである。)。よって、被控訴人の右主張は採用できない。

ところで、控訴人は、本件において各訴訟事件について手数料および謝金の支払を求めているところ、前認定のように手数料は名古屋弁護士会の制定した規程により事件の依頼を受けたときに支払われるものとされているのであるから、本件におけるがごとく、弁護士たる控訴人において第二一三七号事件について二万円の手数料を受けたほか他の事件については手数料を受けず、依頼者に対したんに後でよいというのみで報酬契約書の作成もしなかったような場合においては、当事者の意思は、手数料たる報酬の支払はしないこととし、控訴人に対する報酬は挙げて、依頼の目的が達せられたときにおいて協議決定さるべき謝金としてこれを支払うことにしたものと解すべきである。してみると、控訴人の本訴請求中手数料の支払を求める部分は理由がないというべきであるが、謝金の支払を求める部分は理由があり、しかもその金額について当事者に協議が成立しないことは本訴の弁論の全趣旨に徴し明らかであるから、当裁判所において、前記三において述べた基準により三個の事件を通じ一括してこれを定むべきこととなる(三事件を通じ一括して定むべきことは前記認定に係る当事者間の特約に基くものであるこというまでもない。)。

よって、控訴人の請求しうべき謝金の額について検討してみるに、前記のごとき第二一三七号事件、第二五三号事件および第八三九号事件の訴訟経過、右各事件における控訴人の訴訟活動とそれに費した労力、名古屋弁護士会の定めた報酬基準、原審における鑑定の結果により認められる本件土地の時価が昭和三四年二月当時において五四五万円、昭和四〇年八月当時において一三三四万円であった事実、その他本件に現れた諸般の事情を総合考量し、当裁判所は、右謝金の額は一〇〇万円が相当であると判断する。

五  被控訴人は、第二一三七号事件および第二五三号事件に対する報酬請求権は昭和四一年三月二〇日をもって消滅時効が完成し、第八三九号事件に対するそれは昭和三九年六月一六日をもって消滅時効が完成した旨主張するが、≪証拠省略≫によると、控訴人は、昭和四〇年八月中旬被控訴人に対し本件報酬として二〇〇万円を請求したところ、被控訴人は金額について明らかな応答をしなかったものの、債務自体はこれを認め、払わねばならないが今は金がないといったこと、さらに、同年一二月ごろ被控訴人の長兄新美猶義方において、被控訴人に面会し再び請求したところ、被控訴人において「報酬を支払わなければならないことは知っている」と申し述べ、債務の存在を承認したことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫右事実によれば、被控訴人は、昭和四〇年八月中旬および同年一二月ころの二回にわたり、本件報酬につきその債務を承認したものと認められるので、被控訴人主張の消滅時効の抗弁は採用することができない(なお、第八三九号事件の報酬は前記一括支払の特約により、その弁済期が他の二件の報酬の支払時期と同時と定められているので、昭和三九年六月一六日に時効により消滅するものではない。)。

六  以上の次第で、被控訴人は控訴人に対し、一〇〇万円およびこれに対する履行期の後である昭和四二年一二月三〇日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、控訴人の本訴請求は右の限度において正当であるからこれを認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。よって、右と異なる原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮本聖司 裁判官 川端浩 新田誠志)

〈以下省略〉

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